ダーク・ボガードは初め「ベニスに死す」で知り、差ほどファンではなかったのですが、今回の「召使」は、召使としての役柄と主人である青年とほぼ対等になってからの豹変した役柄の見事な演技に感激しました。
もっと、彼の映画を観たくなりました。
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召使 [Blu-ray]
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フォーマット | ワイドスクリーン, ブラック&ホワイト, モノ |
コントリビュータ | ダーク・ボガード, ウェンディ・クレイグ, ジョセフ・ロージー, サラ・マイルズ |
言語 | 英語 |
稼働時間 | 1 時間 56 分 |
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商品の説明
1人の召使によって破滅して行くイギリス貴族を描くサスペンス・ドラマを初Blu-ray化
◆監督のジョセフ・ロージー(1909~84)は赤狩りでハリウッドを追われ、50年代半ばから『エヴァの匂い』(62)、『恋』(70)等、イギリスで活躍した名監督。
◆召使役のダーク・ボガードは本作と『ダーリング』(65)で英国アカデミー賞男優賞を受賞したイギリスの名優。他に『ベニスに死す』(71)、『愛の嵐』(73)等に出演。
◆脚本のハロルド・ピンター(1930~2008)は、「管理人」(59)等の不条理演劇で有名な劇作家。
脚本家としても活躍した。
2005年にノーベル賞文学賞受賞。
★1963年英国アカデミー賞:男優賞(ボガード)、新人賞(フォックス、クレイグ)、撮影賞
【ストーリー】
南米から帰国した貴族出身のトニーが召使として雇ったバレットの仕事ぶりは見事だった。
トニーの婚約者スーザンは、バレットには裏があることを感じるが、トニーにとってバレットはなくてはならない存在になっていった…。
監督:ジョセフ・ロージー/脚本:ハロルド・ピンター/原作:ロビン・モーム/撮影:ダウラス・スローカム/音楽:ジョン・ダンクワース
ダーク・ボガード/サラ・マイルズ/ウェンディ・クレイグ/ジェームズ・フォックス
1963年 イギリス映画/モノクローム/ビスタサイズ(1.66×1)/モノラル/116分
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- 言語 : 英語
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 80 g
- EAN : 4988111154958
- 監督 : ジョセフ・ロージー
- メディア形式 : ワイドスクリーン, ブラック&ホワイト, モノ
- 時間 : 1 時間 56 分
- 発売日 : 2019/7/5
- 出演 : ダーク・ボガード, サラ・マイルズ, ウェンディ・クレイグ
- 字幕: : 日本語
- 言語 : 英語 (PCM)
- 販売元 : KADOKAWA / 角川書店
- ASIN : B07QTZ1JP9
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 49,670位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 4,521位外国のドラマ映画
- - 4,809位ブルーレイ 外国映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年10月24日に日本でレビュー済み
ジョセフ・ロージーの『召使い』は、何度見てもおもしろい。
見ていて嬉しくなる美しく、飽きさせない映像表現満載のダグラス・スローカム(『午後の曳航』『華麗なるギャツビー』)のカメラ。ジャズ中心だがそれだけでなく(パブ・シーンのとても印象的な)ギターの弾き語りなどもある、カッコよくてとても上手い音楽の使い方。そして、見るたびに今度こそ解き明かしてやろう!と思う、けれどいつもわからない・・・はっきりと語られないラストの魅力。
召使いヒューゴ・バレット(ダーク・ボガードの、これは紛れもない怪演!)と、恋人ヴェラ(性悪だが、カエル顔と少しネズミの入ったカエル声がかわいいサラ・マイルズ)。この二人は・・「明日の夜・・・」いったい何を企んでいるのか??「ジョンも連れて来い!」と、(仲間のひとりらしい)年輩の女性に向かってバレットが言う「明日の夜・・・」。
「ゆがんだ真珠」のイメージを私は持ってしまう大詰めのパーティで、「明日の朝、ブラジルへ出発する。」と言うのは冗談に違いない(荷造りもしていないし、とうとう廃人となってしまったとトニーを連れてブラジルへの長旅はとうてい無理)。
・・・ロージーについて何も知らず『できごと』を見たとき、(他の作品にも共通する)とても印象的なあのopが本当に怖くて、これはもしや怖い映画?と思ったけれど、そう言う意味で怖いわけではなかったが、全体を覆うものはどの作品もかなり怖い。「そんなことになってしまっては大変だ」ということになってしまう人が必ず出てくる。
「そんなことをしてしまう」人間がものすごく強い本作や『エヴァの匂い』。この2作品については、こう言う強い人間(もし、社会を2つに大雑把に分けると、「のし上がる伸び代がある」という言い方もできる位置にある登場人物たち)に、「社会をなんとかしよう!」といった目的があるとはあまり思えなく・・・何か愉しみでやっているようなパワーが本当に怖い。
本作の召使い、ヒューゴ・バレットを雇う御主人トニー(『日の名残り』などのジェームズ・フォックスが好演、後半は熱演)は貴族だが、(ヒッチコックの『レベッカ』のローレンス・オリビエ演じるマキシムなどと比べて)あまり立派には見えない。そこに、バレットの付け入る隙がある。
バレットはトニーの新しい住まいを、リフォームの段階から取り仕切り・・・徐々に侵入し、やがて主従関係を崩し・・・まるでルームメイトか兄弟のように対等な感じとなった後、さらに「これでもかっ!」とばかりにトニーを支配し、ついには彼を廃人にしてしまう・・
トニーの廃人への片鱗は割と早くに見え始め、その度合いの上がるに連れてヒューゴの支配度も高くなるという構図を・・・トニーの婚約者スーザン(主婦として自分が切り盛りすべきトニーの家を、先に取り仕切ろうとするヒューゴとは、vs の関係にあり、とにかく戦いの連続のスーザンをウェンディ・クレイグが真っ当に演じる)と、ヒューゴの恋人(はじめ「妹」と偽りこの家に侵入してくるヴェラ)を含む四名の関係で見せている。
vsや、支配・被支配。プラス(ある程度ふつうの)恋愛感情や、嫉妬なども絡めて・・・短くいくつかのシークエンスを重ねて描かれ、やがてトニーを生贄のように扱う恐ろしいサバト状態の「ゆがんだ真珠パーティ」へと突き進む・・・しかしそこまで。(こうやって、トニーを生贄の廃人としてしまったところで、この家に寄生していたヒューゴは寄生先を廃らせてしまって・・・もはや自分がここに君臨するすべがなくなってしまうではないか・・!)
「明日の夜・・」・・ああ言っているが、ちゃんとした企みなんてどうせないのだろう。
どう見ても先の展開はないので、これはやっぱり・・(何代かに渡り)その位置で生きてきて心身に染み込んだ「上への妬みのようなもの」が原動力だという気がして・・・何か社会を変えるといった品格のあるものではないと思うが、彼らは本当に面白いほど悪魔的で下品。なのだが・・・愉しみをひたすらに満たすヒューゴとヴェラの行為を映し出す映像や語り口は(様式的にも)とても美しい映画。
(精神的に瀕死のトニーが最後の力を振り絞り、そんな彼の「愛」が辛くもスーザンをここから脱出させ得たと私は思うのだけど・・彼女はすんでのところで難を逃れて悪魔のヒューゴ&小悪魔ヴェラの餌食とならずにすむ・・・)
見ていて嬉しくなる美しく、飽きさせない映像表現満載のダグラス・スローカム(『午後の曳航』『華麗なるギャツビー』)のカメラ。ジャズ中心だがそれだけでなく(パブ・シーンのとても印象的な)ギターの弾き語りなどもある、カッコよくてとても上手い音楽の使い方。そして、見るたびに今度こそ解き明かしてやろう!と思う、けれどいつもわからない・・・はっきりと語られないラストの魅力。
召使いヒューゴ・バレット(ダーク・ボガードの、これは紛れもない怪演!)と、恋人ヴェラ(性悪だが、カエル顔と少しネズミの入ったカエル声がかわいいサラ・マイルズ)。この二人は・・「明日の夜・・・」いったい何を企んでいるのか??「ジョンも連れて来い!」と、(仲間のひとりらしい)年輩の女性に向かってバレットが言う「明日の夜・・・」。
「ゆがんだ真珠」のイメージを私は持ってしまう大詰めのパーティで、「明日の朝、ブラジルへ出発する。」と言うのは冗談に違いない(荷造りもしていないし、とうとう廃人となってしまったとトニーを連れてブラジルへの長旅はとうてい無理)。
・・・ロージーについて何も知らず『できごと』を見たとき、(他の作品にも共通する)とても印象的なあのopが本当に怖くて、これはもしや怖い映画?と思ったけれど、そう言う意味で怖いわけではなかったが、全体を覆うものはどの作品もかなり怖い。「そんなことになってしまっては大変だ」ということになってしまう人が必ず出てくる。
「そんなことをしてしまう」人間がものすごく強い本作や『エヴァの匂い』。この2作品については、こう言う強い人間(もし、社会を2つに大雑把に分けると、「のし上がる伸び代がある」という言い方もできる位置にある登場人物たち)に、「社会をなんとかしよう!」といった目的があるとはあまり思えなく・・・何か愉しみでやっているようなパワーが本当に怖い。
本作の召使い、ヒューゴ・バレットを雇う御主人トニー(『日の名残り』などのジェームズ・フォックスが好演、後半は熱演)は貴族だが、(ヒッチコックの『レベッカ』のローレンス・オリビエ演じるマキシムなどと比べて)あまり立派には見えない。そこに、バレットの付け入る隙がある。
バレットはトニーの新しい住まいを、リフォームの段階から取り仕切り・・・徐々に侵入し、やがて主従関係を崩し・・・まるでルームメイトか兄弟のように対等な感じとなった後、さらに「これでもかっ!」とばかりにトニーを支配し、ついには彼を廃人にしてしまう・・
トニーの廃人への片鱗は割と早くに見え始め、その度合いの上がるに連れてヒューゴの支配度も高くなるという構図を・・・トニーの婚約者スーザン(主婦として自分が切り盛りすべきトニーの家を、先に取り仕切ろうとするヒューゴとは、vs の関係にあり、とにかく戦いの連続のスーザンをウェンディ・クレイグが真っ当に演じる)と、ヒューゴの恋人(はじめ「妹」と偽りこの家に侵入してくるヴェラ)を含む四名の関係で見せている。
vsや、支配・被支配。プラス(ある程度ふつうの)恋愛感情や、嫉妬なども絡めて・・・短くいくつかのシークエンスを重ねて描かれ、やがてトニーを生贄のように扱う恐ろしいサバト状態の「ゆがんだ真珠パーティ」へと突き進む・・・しかしそこまで。(こうやって、トニーを生贄の廃人としてしまったところで、この家に寄生していたヒューゴは寄生先を廃らせてしまって・・・もはや自分がここに君臨するすべがなくなってしまうではないか・・!)
「明日の夜・・」・・ああ言っているが、ちゃんとした企みなんてどうせないのだろう。
どう見ても先の展開はないので、これはやっぱり・・(何代かに渡り)その位置で生きてきて心身に染み込んだ「上への妬みのようなもの」が原動力だという気がして・・・何か社会を変えるといった品格のあるものではないと思うが、彼らは本当に面白いほど悪魔的で下品。なのだが・・・愉しみをひたすらに満たすヒューゴとヴェラの行為を映し出す映像や語り口は(様式的にも)とても美しい映画。
(精神的に瀕死のトニーが最後の力を振り絞り、そんな彼の「愛」が辛くもスーザンをここから脱出させ得たと私は思うのだけど・・彼女はすんでのところで難を逃れて悪魔のヒューゴ&小悪魔ヴェラの餌食とならずにすむ・・・)
2020年9月27日に日本でレビュー済み
監督は『パリの灯は遠く』(1976年)のジョゼフ・ロージー。
貴族出身で無職の裕福な青年トニー(ジェームズ・フォックス)はバレット(ダーク・ボガード)という男を召使いとして雇います。バレットは有能でトニーにとっては申し分のない召使いだったのですが、トニーの恋人のスーザン(ウェンディ・クレイグ)はバレットに胡散臭さを感じていました。そして下心のあるバレットは自分の恋人のベラを妹と偽って家に住み込ませます。
映画の見どころは中盤を過ぎてから。
トニーとスーザンが食事から帰りトニーが階段を上ろうとした時、バレットが二階の部屋のドアを開けその影が白い壁に映ります。階段の下にいるトニーとスーザンと二階に見えるバレットの影をカメラは見上げるように撮るのですが、そこでの上下の位置関係がトニーとバレットの主従の逆転がその瞬間に起こったことを暗示します。そこに部屋の中からベラの甘えた声が流されます。
その場で首を言い渡されたバレットとベラは妙に明るく嬌声を挙げながら家を出ていくのですが、一方のトニーは逆に沈痛な思いに陥ります。出ていく二人を部屋に掛けられた凸面鏡の鏡が小さく歪んで映し出し、置かれた三人の状況の歪みを象徴します。
その後トニーとバレットはバーで再開し(バレットの罠なのですが)、再びバレットはトニーに家で召使として雇われるのですが、実態は主従関係を超えて友達のような関係になり、幼稚なボール遊びやかくれんぼをします。このシーンも単純なのですが、二人の大人の男の遊びとしては神経を逆なでするような気味の悪さを感じます。そして次第にトニーのバレットに対する依存は深まっていきます。
なぜここまでトニーがバレットに嵌っていくのか理解不能な部分はあるのですが、トニーが無職でアルコール依存気味で、現実逃避的な生活をしていることなどから考えて、精神的に未熟でもろい自我しか持っていないのは明らかです。その幼稚な精神の脆弱さにバレットの悪意が付けいり、トニーを破滅させていったのです。
ラストのトニーの様子を見ると、この先彼に救いはほぼ無いように思え、暗く嫌な雰囲気のまま映画は終わり、精神的にこたえます。
メインに流れる暗いジャジーな音楽も良いです。
貴族出身で無職の裕福な青年トニー(ジェームズ・フォックス)はバレット(ダーク・ボガード)という男を召使いとして雇います。バレットは有能でトニーにとっては申し分のない召使いだったのですが、トニーの恋人のスーザン(ウェンディ・クレイグ)はバレットに胡散臭さを感じていました。そして下心のあるバレットは自分の恋人のベラを妹と偽って家に住み込ませます。
映画の見どころは中盤を過ぎてから。
トニーとスーザンが食事から帰りトニーが階段を上ろうとした時、バレットが二階の部屋のドアを開けその影が白い壁に映ります。階段の下にいるトニーとスーザンと二階に見えるバレットの影をカメラは見上げるように撮るのですが、そこでの上下の位置関係がトニーとバレットの主従の逆転がその瞬間に起こったことを暗示します。そこに部屋の中からベラの甘えた声が流されます。
その場で首を言い渡されたバレットとベラは妙に明るく嬌声を挙げながら家を出ていくのですが、一方のトニーは逆に沈痛な思いに陥ります。出ていく二人を部屋に掛けられた凸面鏡の鏡が小さく歪んで映し出し、置かれた三人の状況の歪みを象徴します。
その後トニーとバレットはバーで再開し(バレットの罠なのですが)、再びバレットはトニーに家で召使として雇われるのですが、実態は主従関係を超えて友達のような関係になり、幼稚なボール遊びやかくれんぼをします。このシーンも単純なのですが、二人の大人の男の遊びとしては神経を逆なでするような気味の悪さを感じます。そして次第にトニーのバレットに対する依存は深まっていきます。
なぜここまでトニーがバレットに嵌っていくのか理解不能な部分はあるのですが、トニーが無職でアルコール依存気味で、現実逃避的な生活をしていることなどから考えて、精神的に未熟でもろい自我しか持っていないのは明らかです。その幼稚な精神の脆弱さにバレットの悪意が付けいり、トニーを破滅させていったのです。
ラストのトニーの様子を見ると、この先彼に救いはほぼ無いように思え、暗く嫌な雰囲気のまま映画は終わり、精神的にこたえます。
メインに流れる暗いジャジーな音楽も良いです。
2011年7月23日に日本でレビュー済み
突然ですが、筆者は例の「メイド喫茶」というやつは全く共感できません。といっても別に良識人ぶっている訳ではありません。実は父親の仕事の関係で、少年時代はほとんど海外で暮らしていた過去があり、フィリピンに住んでいた時、家には住み込みの女中さん(つまりメイドです)が2〜4人は居ました。子供にとって女中さんは「使用人」ではなく、一緒に遊んでくれる「お友達」だったので、彼女たちが、2段ベッド2組に小さな書きもの机ひとつ、の狭い女中部屋に押し込められ、人ひとりがやっと立って入れるシャワー室があるのみ・・・という家人との格差には子供心に心を痛めた・・・そうした「差」がなぜ存在するのか理解できなかったものです。
子供の頃に、そうした貧富の差を目の当たりにしてしまった故に、「ご主人さま、あ〜ん」などというメイド幻想はもちろん筆者の中には無く、「あきれた」を通り越して憤りすら感じるのです。
日本人は気づいていない。いや、感じる事ができないと言った方がいいだろうか。「使用人」という職種の背景にあるものが「貧困」、そして愚劣な「階級社会」だという事を。彼女たちは貧しい家族 ― 親兄弟を養うために働く出稼ぎ労働者で、彼女たちには職業の選択の余地などない、という事を。好きでメイドなどやっている女性は現実にはいない。そこが、「ナース」などのコスプレと似ていて大きく違う事なのです。第一、あんなヒラヒラがたくさん付いた煽情的な衣装は着ていないし。掃除のオバチャンのような、極めてシンプルな「作業着」です(考えてみれば当たり前のこと)。
「他愛のないコスプレに、何をムキになって・・・」とお思いの方、そのセリフはマリー・アントワネットの「あら、パンがなければお菓子をお召しになればいいじゃない?」と同レベルだと言わせて頂く。ああいった文化(?)を見るにつけ、日本人は何て恥ずかしい人種だろうか・・・と思ってしまう事がよくあるのです。
前置きが長くなった上に、個人的な思いを吐露してしまい、失礼しました。
さて本作『召使』は、そんな「主従」関係の逆転を描いた、痛快 ― と呼ぶには、そこはそれ、ジョセフ・ロージーの映画なので ― 何ともいびつな、不条理劇とでもいうべき作品です。
南米から帰った若い貴族、トニー(ジェームズ・フォックス)は、バレット(ダーク・ボガード)という召使を雇う。バレットの仕事ぶりは申し分がなかったが、トニーの婚約者スーザン(ウェンディ・クレーグ)はバレットの中に、怪しい何かを感じていた。
やがてバレットは、自分の恋人ベラ(サラ・マイルズ)を妹と偽って住み込ませ、ベラはトニーと肉体関係までもってしまう。しかしある時、留守から帰ったトニーは、自分のベッドで抱き合うバレットとベラの姿を目撃し、激怒。バレットを追い出す。
後日、パブで偶然再開したトニーは、バレットも又ベラに騙されていた・・・という涙ながらの身の上話を聞き、つい同情してしまい、再び雇い入れる。そして、バレットの「主従逆転」のシナリオが、虎視眈々と動き出す・・・。
普通、こういった「主従逆転劇」では大抵、弱い方が善良で、権力者が悪というのがパターンですが、そもそもダーク・ボガード演じるバレットのキャラクターが歪んでいるところがもう不条理(苦笑)。電話ボックスで主婦たちを待たせている間、風にひらひらする彼女たちのスカートと足元をちらちら見つめていた割には、「早くしてよ」と急かされると、ボックスを出て行く時に「Bitch!」と捨てゼリフ。主人が留守の時に、恋人のベラとシャワー室でイチャイチャし放題。本作は、「階級社会」を皮肉った、社会派的な作品としてよく紹介されますが、実は人間のいびつな面をじわじわと見せつける、「挑発的」な作品なのです。
後半、バレットが再び戻ってからは、ほとんど確信犯的に、トニーに対して高圧的な態度をとるようになります。そして、そんなトニーもまた、不思議とマゾヒスティックにそれを受け入れてゆく・・・。これはもう、「風刺」じゃなくって「倒錯劇」です(苦笑)。
ジョセフ・ロージーは、『エヴァの匂い』以降、「人を挑発する映画を好んで撮るようになった」と自ら言っています。この「挑発者」が、意外にもロージー映画を読み解くキーワードになりそうだ、と最近気づきました。この目線で『パリの灯は遠く』や『暗殺者のメロディー』を見直すと、また意外な側面が見えてくるかもしれません。とか言いながら、意表をついて『恋』を観てみたらどうかしら・・・?なんて思っている筆者であります。近々レビュー書くかも?
子供の頃に、そうした貧富の差を目の当たりにしてしまった故に、「ご主人さま、あ〜ん」などというメイド幻想はもちろん筆者の中には無く、「あきれた」を通り越して憤りすら感じるのです。
日本人は気づいていない。いや、感じる事ができないと言った方がいいだろうか。「使用人」という職種の背景にあるものが「貧困」、そして愚劣な「階級社会」だという事を。彼女たちは貧しい家族 ― 親兄弟を養うために働く出稼ぎ労働者で、彼女たちには職業の選択の余地などない、という事を。好きでメイドなどやっている女性は現実にはいない。そこが、「ナース」などのコスプレと似ていて大きく違う事なのです。第一、あんなヒラヒラがたくさん付いた煽情的な衣装は着ていないし。掃除のオバチャンのような、極めてシンプルな「作業着」です(考えてみれば当たり前のこと)。
「他愛のないコスプレに、何をムキになって・・・」とお思いの方、そのセリフはマリー・アントワネットの「あら、パンがなければお菓子をお召しになればいいじゃない?」と同レベルだと言わせて頂く。ああいった文化(?)を見るにつけ、日本人は何て恥ずかしい人種だろうか・・・と思ってしまう事がよくあるのです。
前置きが長くなった上に、個人的な思いを吐露してしまい、失礼しました。
さて本作『召使』は、そんな「主従」関係の逆転を描いた、痛快 ― と呼ぶには、そこはそれ、ジョセフ・ロージーの映画なので ― 何ともいびつな、不条理劇とでもいうべき作品です。
南米から帰った若い貴族、トニー(ジェームズ・フォックス)は、バレット(ダーク・ボガード)という召使を雇う。バレットの仕事ぶりは申し分がなかったが、トニーの婚約者スーザン(ウェンディ・クレーグ)はバレットの中に、怪しい何かを感じていた。
やがてバレットは、自分の恋人ベラ(サラ・マイルズ)を妹と偽って住み込ませ、ベラはトニーと肉体関係までもってしまう。しかしある時、留守から帰ったトニーは、自分のベッドで抱き合うバレットとベラの姿を目撃し、激怒。バレットを追い出す。
後日、パブで偶然再開したトニーは、バレットも又ベラに騙されていた・・・という涙ながらの身の上話を聞き、つい同情してしまい、再び雇い入れる。そして、バレットの「主従逆転」のシナリオが、虎視眈々と動き出す・・・。
普通、こういった「主従逆転劇」では大抵、弱い方が善良で、権力者が悪というのがパターンですが、そもそもダーク・ボガード演じるバレットのキャラクターが歪んでいるところがもう不条理(苦笑)。電話ボックスで主婦たちを待たせている間、風にひらひらする彼女たちのスカートと足元をちらちら見つめていた割には、「早くしてよ」と急かされると、ボックスを出て行く時に「Bitch!」と捨てゼリフ。主人が留守の時に、恋人のベラとシャワー室でイチャイチャし放題。本作は、「階級社会」を皮肉った、社会派的な作品としてよく紹介されますが、実は人間のいびつな面をじわじわと見せつける、「挑発的」な作品なのです。
後半、バレットが再び戻ってからは、ほとんど確信犯的に、トニーに対して高圧的な態度をとるようになります。そして、そんなトニーもまた、不思議とマゾヒスティックにそれを受け入れてゆく・・・。これはもう、「風刺」じゃなくって「倒錯劇」です(苦笑)。
ジョセフ・ロージーは、『エヴァの匂い』以降、「人を挑発する映画を好んで撮るようになった」と自ら言っています。この「挑発者」が、意外にもロージー映画を読み解くキーワードになりそうだ、と最近気づきました。この目線で『パリの灯は遠く』や『暗殺者のメロディー』を見直すと、また意外な側面が見えてくるかもしれません。とか言いながら、意表をついて『恋』を観てみたらどうかしら・・・?なんて思っている筆者であります。近々レビュー書くかも?